院長略歴


院長 齋藤秀文(さいとう ひでふみ)
昭和42年11月25日 北海道北見市生まれ
B型 いて座

保育園~帯広第八中学校

帯広市で育つ。
小さいころの夢はパイロットになること。
足の速さを生かして中学はサッカー部に入りフォワードやバックスでがんばった。
サッカー部キャプテン・学級委員長・生徒会・議長などの仕事を勤める。

函館ラサール高等学校

夢であるパイロットを目指し、勉強に打ち込みすぎ、2.0あった視力が0.5に下がったため眼科を受診することになる。
その結果、視力や、色覚障害によりパイロットになることを諦めざるを得ないこととなる。悩んだ末、眼科医になろうと決意する。
当時の帯広の眼科はものすごく混雑しており、朝受付しても診てもらえるのが午後であった経験から、「眼科って、あまり地域にない病院なのだったら眼科医になるのがいいかもしれない。。。」と考えた。

旭川医科大学

部活動は、大東流合気武道部、映画研究部、モータースポーツクラブに入っていた。
大東流合気武道部には、自分の身を守る武道を習いたかったため入部。大変な部活だったが、先輩のきびしい指導のおかげで、当時のもっとも優れた賞である「宗家賞金賞」を受賞。武田時宗先生(武田惣角先生の息子さん)がまだご存命の頃のことだった。
その後、合気武道部部長を拝命。

1992年3月 旭川医科大学を卒業。

大学卒業後

1992年4月 奨学金をいただいていた北海道勤医協に就職。
眼科医を志す上でも、内科疾患と眼科の病気の理解・管理には内科の経験は必要と感じたため、内科と眼科の研修を行う。
当時としては、眼科医が内科研修をするという制度はあまりなく、有意義な経験となる。
(しかし、内科の病気の考え方や管理の方法は日進月歩のため、当然ですが現在、当院では内科診療は行いません)

2000年4月 眼科医として市立札幌病院眼科で1年間の網膜硝子体疾患の専門研修をさせていただく。
竹田宗泰先生をはじめ、たくさんのスーパードクターの仕事ぶりを拝見する。


-2001年4月-
勤医協札幌病院眼科医長
-2005年4月-
勤医協札幌病院眼科部長
-2006年3月-
眼科医としての物事の考え方、手術の仕方、スタッフの育成やチーム医療、そして人としての生き方考え方を一から教えていただいた恩師 田宮宗久先生のもとを離れる決意をし、北海道勤医協を退職。
-2006年4月-
栗山赤十字病院眼科 部長
北海道大学眼科医局入局 (北大眼科医局の先生方にいろいろと教えていただいた)
-2007年3月-
北海道大学眼科医局退局(栗山日赤病院眼科業務に専念)
-2011年3月-
栗山赤十字病院眼科 退職
-2011年4月-
栗山さいとう眼科 開業 現在に至る